こんなものを手に入れました。

ウィルヘルミナ女王の描かれた銀貨です。

1944年のキュラソー銀貨です。
キュラソー銀貨とはどういったものでしょうか?
1944年 キュラソー 1グルデン銀貨
1. 基本データ
項目 | 内容 |
---|---|
発行国 | オランダ領キュラソー(オランダ王国のカリブ植民地) |
額面 | 1グルデン(1 Gulden) |
年号 | 1944年 |
材質 | 銀 0.720(72%) |
重量 | 約10.0 g |
直径 | 約30 mm |
含有銀量 | 約7.2 g |
モントマーク | 「D」=アメリカ・デンバー造幣局 |
デザイン | 表面:ウィルヘルミナ女王 / 裏面:オランダ王国の紋章と王冠 |
発行枚数 | 約1,000,000枚前後(推定) |

重量的には問題のないレベルです。
2. コインのデザインと象徴
表面には「WILHELMINA KONINGIN DER NEDERLANDEN(オランダ女王ウィルヘルミナ)」と刻まれ、女王の右向きの肖像が描かれています。
彼女はオランダ王国史上でも極めて重要な君主で、ドイツ占領下でも亡命政府を率い、国の象徴として国民の精神的な支えとなった人物です。
裏面に掲げられる「王冠を戴く盾のライオン(オランダ王国の紋章)」は、勇気と独立を象徴しています。
紋章の上部には「MUNT VAN CURAÇAO(キュラソーの貨幣)」と刻まれ、同国内通貨ではなく、植民地専用に鋳造された貨幣であることを明確にしています。
3. 当時のオランダと世界情勢
このコインが作られた1944年は、第二次世界大戦のさなかでした。
オランダは1940年にナチス・ドイツ軍に占領され、ユトレヒト造幣局はドイツの支配下に置かれました。
王室と政府はロンドンへ亡命し、そこから「オランダ亡命政府」として連合国の一員として戦争を続けていました。
一方、南米北岸に位置するキュラソー(Curaçao)やアルバ、ボネール島などのカリブ海植民地はドイツ軍の支配を受けず、連合国側の拠点として維持されました。
この地域ではオランダ本国と異なり、通貨が不足していたため、亡命政府の依頼によりアメリカで特別に造幣されたのがこのキュラソー1グルデン銀貨です。
4. 鋳造地とバリエーション
戦時下のため、本国では鋳造が不可能でした。
そのため、アメリカ合衆国に依頼し、連合国の支援体制下で発行されています。
- 1943年版:サンフランシスコ造幣局(モントマーク「S」)
- 1944年版:デンバー造幣局(モントマーク「D」)
このコインの裏面にも「1944」の年号の下、左右に小さく「D」の刻印があり、これはデンバー造幣局で鋳造された証拠です。
また、1943年版のほうがやや発行枚数が少なく、コレクター市場では若干高評価となる傾向があります。
5. 他のオランダ関連銀貨との関係
同じ時期、亡命政府はロンドンでも銀貨を発行しており、「1944年オランダ1ギルダー銀貨(ロンドン造幣局)」も存在します。
外見はほとんど同じですが、裏面に「MUNT VAN CURAÇAO」の表記があるかどうかで植民地用か本国用かを見分けることができます。
比較項目 | ロンドン発行(本国用) | デンバー発行(キュラソー用) |
---|---|---|
文言 | 「1G」「1944」 | 「MUNT VAN CURAÇAO」「1944」 |
モントマーク | U(ユトレヒトを象徴)またはなし | D(デンバー) |
発行目的 | 本国およびヨーロッパ復帰用 | 植民地・カリブ流通用 |
希少性 | 普通 | やや希少(限定発行) |
6. 歴史的・文化的価値
この銀貨は、単なる通貨としてだけでなく、「亡命政権の象徴」かつ「連合国間協力の証」でもあります。
オランダが祖国を奪われた中でも、王室と政府が毅然と立ち、海外の領土と人々がその正当性を支え続けた証拠が、この硬貨に刻まれています。
キュラソーの人々にとっても、この通貨は「自由を信じた連合国の絆」を形として残したものといえます。
7. まとめ
この1944年キュラソー1グルデン銀貨は、
「ドイツ占領に抗い、自由を守るために戦ったオランダと連合国の協力の記念」ともいえる作品です。
- ウィルヘルミナ女王の肖像は、独立と誇りを象徴。
- 「MUNT VAN CURAÇAO」の刻印は、自由圏に残ったオランダ領の存在を示す。
- デンバー造幣局製という点は、アメリカ支援と戦時同盟関係の証。
この銀貨は単なる貨幣ではなく、亡命下にも国の誇りを失わなかった“自由の銀貨”なのです。
以上、参考になりましたら幸いです!
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