永楽通宝の意外な歴史:織田信長から家康の禁止令まで

日常
Oplus_131104

先日フリマサイトで購入した日本貨幣一覧ですが、

今回は、永楽通宝(えいらくつうほう)について紹介します。

永楽通宝は、中国の明朝時代に鋳造された銭貨であり、特に永楽帝の治世(1408年~1424年)に鋳造されたものとして知られています。

この銭貨は、中国国内のみならず、日本を含む東アジアの諸国でも広く流通していたため、その歴史的な重要性が非常に高いといえます。

今回は、その永楽通宝の概要、種類、流通の背景、そしてその後の日本での扱いについて、詳しく解説します。

1. 永楽通宝の誕生と背景

永楽通宝は、明朝の永楽帝(在位:1402年~1424年)の時代に鋳造されました。

この永楽帝は、明朝を強大にし、国内外でさまざまな改革を行ったことで有名です。

彼の治世下では、経済的安定を図るため、国家的な貨幣制度の整備が進められました。

その一環として、永楽通宝が新たに鋳造され、広く流通することになりました。

永楽通宝は、主に銅で作られており、その表面には「永楽通宝」という4文字が刻まれています。

このデザインは、非常にシンプルでありながらも、当時の皇帝の威厳を示すものとして重視されていました。

永楽通宝は、一般的には「永楽銭」として知られ、多くの国で使用されるようになったことで、歴史的な価値が高まりました。

2. 日明貿易と永楽通宝の流入

永楽通宝が日本で広く流通するようになったのは、室町時代に始まった日明貿易によるものです。

室町幕府は、国内で銭の鋳造を行わず、代わりに中国からの銭貨を輸入することで貨幣の需要を賄っていました。

特に、永楽通宝は質が高く、信頼性があったため、日本国内でも高く評価されました。

また、倭寇(海賊)によっても多くの永楽通宝が日本に持ち込まれたとされています。

このようにして、永楽通宝は室町時代から江戸時代初期にかけて、日本国内で広く流通することになりました。

特に、商取引や税の支払いなど、さまざまな場面で使用される重要な貨幣としての役割を果たしていました。

3. 永楽通宝の種類と価値

永楽通宝には、主に3つの種類が存在します。

それは、金銭銀銭銅銭です。

  • 金銭:金で作られた非常に希少な永楽通宝であり、実際に流通した数は少ないとされています。そのため、現代においても非常に高い価値がつけられることがあります。
  • 銀銭:銀で作られた永楽通宝は、金銭ほどではありませんが、やはり希少価値が高いです。銀銭は保存状態が良い場合、コレクター市場で高額で取引されることがあります。
  • 銅銭:最も一般的に流通していたのが銅製の永楽通宝です。銅銭は広く使用されていたため、今日でも比較的多く見つかることができますが、その価値は保存状態や美品の程度によって大きく変わります。

4. 永楽通宝の流通と使用禁止

永楽通宝は、江戸時代初期まで日本国内で広く流通していましたが、1608年に徳川家康によってその使用が禁止されました。

家康が永楽通宝を禁止した理由として、以下の二つの説が有力視されています。

  1. 選銭行為による損失
    選銭行為とは、質の良い銭だけを選んで使用し、粗悪な銭を避ける行為のことを指します。家康は、蔵に貯めていた永楽通宝が選銭行為の影響を受け、価値が下がってしまったことで大きな損失を被ったとされています。この損失が、家康が永楽通宝の使用を禁止する一因となったと言われています。
  2. 模鋳銭の流通
    永楽通宝の流通量が増えるにつれて、模倣された粗悪な偽造銭(模鋳銭)が出回るようになりました。これにより、貨幣の信頼性が損なわれ、経済に悪影響を与える恐れがあったため、家康は永楽通宝の流通を停止させたとも考えられています。

5. 織田信長と永楽通宝の意匠

永楽通宝は、そのデザインが武家にも影響を与えました。

特に有名なのが、織田信長による使用です。

信長は、永楽通宝の意匠を自らの旗印として採用し、自身の権力や威厳を象徴するものとしました。

永楽通宝の四文字は、信長の軍勢の旗にも描かれ、その強さや統治力を示す象徴となっていました。

信長にとって、永楽通宝のデザインは単なる貨幣以上の意味を持っていたのです。

6. 現代における永楽通宝の評価

現代では、永楽通宝は歴史的な遺物として、コレクターの間で高い人気を誇っています。

特に、保存状態が良いものや希少な金銭や銀銭は、オークションで高額で取引されることがあります。

また、永楽通宝は、東アジアの歴史や貿易の象徴としても重要視されており、その価値は単なる貨幣としての役割を超えて、文化的な意味合いを持つものとされています。

まとめ

永楽通宝は、明朝の永楽帝の時代に鋳造され、日本を含む多くの国で流通した銭貨です。

その質の高さと信頼性から、室町時代から江戸時代初期にかけて日本でも広く使用されましたが、徳川家康によって1608年に使用が禁止されました。

織田信長がその意匠を旗印に用いたことからもわかるように、永楽通宝は単なる貨幣以上の歴史的・文化的な価値を持つ存在であり、現代においてもその評価は高いままです。

永楽通宝は、東アジアの貨幣史や貿易の象徴として、今後も多くの人々に注目され続けるでしょう。

コメント