本日こんなものが届きました。

みんな大好き 普通郵便です。
早速 開封してみましょう!

入念に梱包してくれています。


中身は 1941年タイの10サタン硬貨です。


かなり小ぶりなコインです。
1941年発行のタイ10サタン硬貨は、一見すると小ぶりで地味な銀色のコインですが、その背景には「戦時下の資源不足」「タイ王国の独立性」「東南アジアを揺るがした国際情勢」といった、濃い歴史ドラマが詰まっています。
10サタンとは?タイの通貨単位を整理
まず押さえておきたいのが、タイの通貨単位です。
タイでは現在も「バーツ(Baht)」が基本単位で、その補助単位が「サタン(Satang)」です。
1バーツは100サタンで構成されており、10サタンはちょうど0.10バーツ、つまり1バーツの10分の1にあたります。
日本の感覚でいうと、戦前の「10銭」に近いイメージで、日常の細かい支払いに使われた小額貨幣のポジションです。
日常生活の中でお釣りや細かい決済を支えた、本当に「庶民の足元」を支える小さなお金だったと考えると、ぐっと身近に感じられます。
1941年10サタン硬貨のスペック
1941年の10サタン硬貨は、仏暦でいうと「2484年」にあたる年号が刻まれた銀貨です。
主なスペックは以下の通りです。
注目したいのは、「小額補助貨幣でありながら、銀を約65%も含んだ銀貨」である点です。
当時の各国の小額貨幣は、ニッケルや銅、あるいはアルミなどの卑金属に移行しつつあった時期ですが、その中でこの10サタンは「銀の品位を落としつつも、まだ銀を使っている」過渡期の1枚といえます。
- 額面:10サタン(1バーツ=100サタン)
- 年号:仏暦2484年(西暦1941年)
- 材質:銀650(銀約65%、残りは銅などの合金)
- 直径:約19mm前後
- 重量:約2.4g台
なぜニッケルではなく銀なのか?戦時下の金属事情
1941年といえば、世界はすでに第二次世界大戦の真っただ中にありました。
ヨーロッパではドイツが勢力を拡大し、アジアでは日本が中国大陸から東南アジアへと進出を強めていた時期です。
軍需産業が巨大化する中で、各国は金属資源の確保に苦しんでいました。
とくにニッケルは、兵器・機械・装甲材など軍事用途で非常に重要な「戦略物資」とされました。
このため、多くの国で「硬貨用のニッケルを削り、鉄・アルミ・低品位の銀などで代用する」という動きが起こります。
タイの10サタン銀貨も、この流れの中に位置づけられます。
ニッケルを含む硬貨は軍需との競合が激しくなるため、代わりに当時相対的に調達しやすかった銀を、品位を落とした形(銀650)で使用したと考えられます。
つまり、「高級な純銀ではないが、ニッケル節約のために銀を混ぜた現実的な戦時仕様」というわけです。
日本や他国の代用貨幣との共通点
この時期、日本でもニッケルや銅の不足が深刻になり、
- アルミ貨
- 鉄貨
- さらには陶器や紙などの代用貨幣
といった、さまざまな「苦肉の策」が登場しました。
タイも同様に、戦時の金属不足と軍需優先の圧力の中で、「どの金属を貨幣に回すか」という難しい選択を迫られていました。
10サタン銀貨は、その解のひとつとして、「低品位の銀合金で小額硬貨を作る」という決断が具体化したものと見ることができます。
1941年前後のタイ国内情勢
1941年前後のタイは、外から見ると「独立王国」ではありましたが、内側では軍部の存在感が増し、政治的にも大きく揺れていた時期です。
立憲君主制のもとで軍人出身の指導者が台頭し、国の舵取りを担っていました。
周囲を見渡すと、イギリス領マラヤ、フランス領インドシナなど、欧米列強の植民地がひしめく地域であり、その間を縫うようにタイは主権を守ろうとしていました。
フランス領インドシナとの国境紛争や、日本との接近など、外交面でも難しい判断が続く中で、経済・通貨政策もまた国の安定に直結する重要なテーマとなっていたのです。
日本軍進出と東南アジアの緊張
1941年末、日本軍はマレー半島やタイ周辺に一気に進出し、太平洋戦争が始まります。
タイは最終的に日本との同盟・協力関係に傾き、「枢軸側に近い独立王国」として戦時期を生き抜くことになりました。
1941年10サタン銀貨は、まさにこの「大戦の渦に飲み込まれていく直前」に発行された硬貨です。
静かに流通していた小さな銀貨の背後には、外交圧力、軍事的緊張、経済不安など、目には見えない重い時代の空気がまとわりついていたといえるでしょう。
デザインに込められた王国の顔
デザイン面に目を向けると、この10サタン銀貨には、当時の国王ラーマ8世の時代を示す刻印と、タイ語による額面表記、「タイ政府」を示す文字などが刻まれています。
タイ文字特有の柔らかい曲線の書体や、王権を象徴する意匠は、単なる「支払手段」という以上に、「王国の顔」としての役割を硬貨に与えています。
周囲の国々が欧米列強の支配を受ける中で、独自の王と文字、そして自国通貨を持ち続けたタイにとって、コインは「国家アイデンティティのシンボル」ともいえる存在でした。
特に銀貨は、光沢や質感の面でも「価値」と「威厳」を視覚的に示しやすく、国民にとっても「王国の信頼」を手のひらで感じる媒体だったはずです。
コレクター目線で見た魅力
1941年10サタン銀貨は、コレクターの視点から見ると、いくつもの「おいしいポイント」を持っています。
- 小額補助貨幣でありながら銀650という品位を持つ点
- 第二次世界大戦初期、東南アジア情勢が激変する局面で発行された歴史的背景
- タイ王制・タイ文字・近代的な通貨制度が一枚に凝縮されている点
単なる「戦時中の変わった材質のコイン」という枠を超えて、「一枚で歴史と国際政治と文化を語れる教材」のような存在です。
戦時の金属事情、タイの外交バランス、日本軍の進出、植民地支配と独立王国の対比など、さまざまなテーマをこの小さな銀貨から引き出すことができます。
実物を手にしたときに感じたいこと
もし1941年10サタン銀貨を手に入れたら、
- 重量感(約2.4g台の軽さの中にある、銀特有のずっしり感)
- 銀650というやや落ち着いた色味
- タイ文字の曲線美と、王国を示す意匠
あたりを意識しながら眺めてみると、より深く楽しめます。
「ニッケルが軍需に取られ、代わりに品位を落とした銀で作られた硬貨」
「独立王国として自国の通貨と王の権威を守ろうとした時代のコイン」
そう考えながらルーペを当てると、この10サタン銀貨は、単なる古銭から「小さな歴史資料」へと姿を変えて見えてくるはずです。
おわりに:小さな銀貨から始まる歴史旅
1941年タイ10サタン銀貨は、サイズこそ小さいものの、そこに刻まれた金属、文字、年号、デザインには、戦時の世界情勢とタイ王国の選択が凝縮されています。
「安価だったから銀を使った」「ニッケルが抜かれた」という一言では片づけられない、軍需と通貨、独立と圧力、王権と近代化が交錯する1枚です。
もしあなたがまだ東南アジアのコインを本格的に集めていないなら、この10サタン銀貨は「タイと第二次世界大戦」というテーマに入っていく絶好の入口になってくれるでしょう。
以上、参考になりましたら幸いです!

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