先日、フリーマーケットで購入した大満州国 康徳元年(1934年) 壹角白銅貨です。
そんなに高価なコインではありませんが、今まで持っていなかったのと双龍のデザインが気に入ったので購入してみました。
ヤバカッチョいいですね😆
そもそも満州国の貨幣とは、当時の日本にとってどういった位置付けのものだったんでしょうか?
満洲国は、1932年に建国された新興国家で、1931年に起こった「満洲事変」を契機に日本の支援を受けて成立しました。
この国家は、現在の中国東北部に位置し、かつて「東三省」と呼ばれていた地域にありました。
満洲国の設立は、地理的にも戦略的にも日本にとって重要な拠点となり、日本の影響力が強い地域として発展しました。
この記事では、満洲国の歴史とその通貨「満洲国圓(満洲國圓)」について、特に満洲中央銀行の設立と貨幣制度に注目し、分かりやすく解説します。
満洲国の成立と背景
満洲国は、1932年(大同元年)に正式に建国されました。
建国当初、この地域は日本の関東軍による軍事的な影響を受けていました。
満洲国は表向きには「独立国家」としての形をとっていましたが、実際には日本の統制下にあった傀儡国家でした。
そのため、日本の経済的な影響力が強く、経済政策にも日本が大きく関与しました。
建国以前、満洲地域は中華民国の一部であり、この地域では中華民国政府が発行した貨幣や、地方軍閥が独自に発行した貨幣が流通していました。
このため、満洲国が建国されると貨幣制度の統一が必要となり、新たな通貨の導入が求められました。
満洲中央銀行の設立と貨幣制度の統一
満洲国は建国と同時に経済の安定を目指し、1932年に「満洲中央銀行法」を制定しました。
この法律に基づき、満洲国の中央銀行である「満洲中央銀行」が設立されました。
同銀行は、国家の貨幣制度を統一し、安定した通貨の流通を図る役割を担いました。
満洲中央銀行は、同年6月11日に公布された「教令第26号」によって設立が正式に認められ、「国幣」と呼ばれる新しい通貨「満洲国圓(まんしゅうこくえん)」を発行しました。
この国幣は、当初の設計として銀本位制を採用し、銀を基盤とすることで安定性を図っていました。
これは、中華民国で使用されていた「現大洋(袁世凱弗や孫文弗とも呼ばれる銀圓)」と等価とされ、価値を一定に保つために銀の価格に連動させることで、流通の信頼性を高める狙いがありました。
銀本位制と満洲国圓の特長
満洲国圓が採用した銀本位制は、銀を基軸とする貨幣制度であり、紙幣の価値が銀の一定量に裏付けられている仕組みです。
この銀本位制は、当時の中国や他の国々で採用されていたため、特に新しい制度ではありませんでしたが、地域の経済に安定をもたらす手段として有効でした。
特に、農業や鉱業が盛んであった満洲では、銀本位制による信頼性が経済発展に寄与しました。
満洲国圓の特徴として、貨幣には「国幣」という通称が付けられた点が挙げられます。
これは、満洲国が一国家として独立した貨幣制度を持つ象徴とされました。
また、貨幣のデザインには、満洲国の象徴である龍や他の民族的な模様が施され、国家の誇りを反映したものでした。
さらに、満洲国圓は中華民国の銀圓と等価であったため、隣国である中国本土でも一定の信頼を得て流通することができました。
満洲国圓の影響とその後
満洲国圓の導入により、満洲国内の経済は一時的に安定し、物資の取引や経済活動が活発化しました。
満洲中央銀行は、この国幣の安定供給を目指し、銀本位制を維持しながら貨幣の流通を管理しました。
しかし、日本と中国の対立が続く中で、満洲国圓は国際的には広く認められることはなく、主に満洲国内での使用が中心でした。
その後、1937年に日中戦争が勃発すると、日本は戦費を賄うために満洲国の経済にも影響を及ぼし、銀の確保が困難となったため、銀本位制の維持が困難になりました。
これにより、満洲国圓も戦争の影響を受けてインフレーションが発生し、通貨価値が次第に低下しました。
さらに、1945年に第二次世界大戦が終結し、日本が敗戦すると、満洲国も崩壊しました。
それに伴い、満洲国圓も廃止され、満洲国での通貨としての役割を終えました。
満洲国圓は、その短い歴史の中で、特異な存在であったものの、満洲地域の経済的な発展と、日本の影響下での国家運営の一端を示すものでした。
まとめ
満洲国圓は、満洲国という短命な国家の経済基盤を支えた重要な通貨でした。
満洲国の建国と共に統一された貨幣制度は、当初は銀本位制を採用し、隣国である中国と等価の価値を持つことで安定した流通を目指しました。
しかし、戦争の激化や銀の不足により、満洲国圓の価値は徐々に低下し、最終的には満洲国の崩壊と共にその役割を終えることとなりました。
満洲国圓の歴史は、満洲国自体の運命と密接に関わっており、日本の影響を強く受けた経済政策が反映されています。
この通貨は、当時の東アジアの政治的、経済的な背景を理解する上で重要な資料となっており、コレクターや歴史研究家にとって興味深い存在となっています。
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