自由を忘れなかった少女――1931年ラトビア5ラッツ銀貨の物語

日常
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以前から欲しかった銀貨を、ようやく手に入れました。1931年、ラトビア共和国の5ラッツ銀貨。購入価格は5700円です。

民族衣装をまとった少女の横顔に、重厚な国章。写真を眺めているだけでも、その組み合わせに引き込まれます。肖像の柔らかな輪郭と、紋章の細かな彫刻。この一枚には、銀貨を集める楽しさがぎゅっと詰まっています。

けれど、この少女を単なる「美人銀貨」の主人公として紹介するだけでは、もったいない。彼女は、祖国が独立を失った時代にも、人々の手元で自由の記憶を守り続けた存在なのです。

直径37ミリ、銀25グラムの存在感

まずは、コレクターなら押さえておきたい基本スペックから。

  • 発行国:ラトビア共和国
  • 額面:5ラッツ(貨面表記は「5 LATI」)
  • 年銘:1931年
  • 規定重量:25.00グラム
  • 直径:37ミリ
  • 銀品位:835/1000
  • 規定上の純銀量:20.875グラム
  • 1931年銘の発行枚数:200万枚
  • カタログ番号:KM#9

堂々たる大型銀貨ですが、純銀貨ではありません。銀83.5%という品位に、実際に使う貨幣としての性格が表れています。

このタイプが製造されたのは1929年、1931年、1932年の3年。発行枚数は順に100万枚、200万枚、60万枚です。つまり1931年銘は、シリーズ中で最も発行枚数の多い年。珍しい年号だからというより、図案と歴史に惚れて迎えたい一枚でしょう。

なお、同じ意匠を復刻した2012年の銀貨は品位925。こちらのスペックを、戦前の835銀貨と混同しないのも、小さな鑑賞ポイントです。

少女の名は「ミルダ」。でも、本名ではない

この銀貨の少女は、親しみを込めてミルダと呼ばれています。しかし、モデルとなった実在の女性の名前は、ゼルマ・ブラウエレ。国立有価証券印刷所で校正の仕事をしていた女性でした。

王妃でも、貴族でもありません。

図案を手がけたリハルズ・ザリンシュは、同じ職場の彼女をモデルに、ラトビアの民族的な理想像を描きました。中央銀行の解説によれば、その少女が象徴するのは、勤勉さと倫理的な清らかさ。民間伝承のなかで育まれてきた「民族の娘」の姿です。

背中へ流れる太い三つ編み、幾何学模様の頭飾りと襟、肩に添えられた穀物の穂。いずれも単なる飾りではなく、民族衣装や暮らしに根ざした表現です。豪華な宝冠よりも、自分たちの文化をまとった女性を選んだ。その選択に、新しい共和国の誇りを感じます。

さらに、立体化には英国王立造幣局の彫刻家パーシー・メトカーフが参加しています。この柔らかな横顔は、ラトビアの民族的な構想と、英国の造幣彫刻技術が出会って生まれたもの。銀貨を裏返すたび、その国際的な制作背景まで楽しめるのです。

少女が裏面? 国章が語る「共和国」

ここで、コレクター同士なら話したくなる小ネタを一つ。

少女が主役に見えるので、つい肖像側を「表」と呼びたくなります。しかし、ラトビア中央銀行の説明では、国章側が表面、少女側が裏面です。人物が描かれているから表とは限らない。この銀貨は、その好例でもあります。

国章を見れば、中央の盾だけでなく、その左右にも獅子とグリフィンが配置されています。獅子はクルゼメとゼムガレ、翼を持つグリフィンはヴィドゼメとラトガレを表す存在です。

上部の三つの星は、歴史的な三地域の結束を表します。ここでいう三地域は、クルゼメとゼムガレを一組として数え、ヴィドゼメ、ラトガレを合わせたもの。「地域名は四つなのに星は三つ?」という疑問には、こんな歴史的な区分が隠れています。

盾の上部には昇る太陽、足元にはオークの枝と国旗の配色を持つリボン。実物では色がないため、図案の意味を知って初めて、銀色の紋章に本来の色彩が立ち上がります。

少女側の「LATVIJAS REPUBLIKA」は「ラトビア共和国」、額面の「PIECI LATI」は「5ラッツ」。そして縁には「DIEVS SVĒTĪ LATVIJU」――「神よ、ラトビアを祝福したまえ」という祈りが刻まれています。表裏だけで満足せず、ぜひ側面まで眺めたい銀貨です。

1931年――若い共和国を襲った世界恐慌

ラトビアが独立を宣言したのは1918年11月18日。1931年は、それからまだ13年しかたっていない時代でした。1922年憲法のもと、議会政治を営む若い共和国。その日常を、この銀貨は支えていたのです。

ただし、少女の穏やかな表情とは対照的に、経済は厳しい状況にありました。

世界恐慌が波及し、1931年にはドイツの銀行危機と結びついたラトビアの銀行にも動揺が広がります。預金の取り付けが起こり、企業の倒産や失業が増加。同年10月には為替管理へ移行し、ラッツの金・外国通貨への無制限の交換を停止しました。

銀をたっぷり使った堂々たる貨幣と、揺らぎ始めた金融の信用。その二つが同じ1931年に存在していたと知ると、年号の重みが変わってきませんか。

政治もやがて転換します。1934年にはウルマニスが権威主義体制を築き、1939年の独ソ不可侵条約の秘密議定書では、ラトビアがソ連の勢力圏に組み込まれました。そして1940年、ソ連軍による占領を迎えます。1931年銘は、こうした激変より前の、議会制共和国の時代に属する銀貨なのです。

5ラッツあれば、映画も食事も楽しめた

では、当時の5ラッツは、どれほどの価値だったのでしょう。

リエパーヤ博物館が紹介する1931年の価格では、黒パンは1キロ28サンティーム、牛乳は1リットル17サンティーム。散髪は40サンティーム、映画も40サンティーム、劇場の観覧は65サンティームでした。1ラッツは100サンティームなので、この一枚は決して軽い小銭ではありません。

髪を整えて映画を観て、それでも買い物ができる。そんな生活の風景を想像すると、銀貨が急に身近になります。

しかも1930年代には、この5ラッツ銀貨をブローチに加工し、民族衣装に着ける女性もいました。貨幣が、そのまま身につける民族文化になったのです。加工品を見つけても、単に「傷物」と片づける前に、その使われ方を考えてみたくなります。

5700円で手に入れた、祖国の記憶

人々はこの銀貨を子や孫に贈り、いざというときのために大切に保存しました。独立と自国通貨を失ったあとは、国内だけでなく、シベリアへ追放された人々や世界各地の亡命者にとっても、祖国と自由を思い出させる存在になったといいます。

銀貨は使えなくなっても、そこに刻まれた共和国まで消えたわけではなかったのです。

今回の5700円が相場と比べてどうか。それとは別に、以前から欲しかった一枚を迎えられた満足感は、私にとって確かなものです。

37ミリの銀のなかに、民族衣装、暮らし、世界恐慌、そして失われても忘れられなかった独立が重なっている。

この少女の横顔を、これから何度も眺めることになると思います。次に見るときは、美しさだけではなく、その静かな表情の向こうにある共和国の物語まで、じっくり味わいながら。


資料:ラトビア中央銀行「5-lats Silver Collector Coin」、リエパーヤ博物館「Silver Five-lats Coin」、ラトビア大統領府「National symbols」、uCoin「5 lati 1929–1932, Latvia」

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