非合理な序列に支配された勤め人

事業

私の勤め人時代、今となっては遠い昔のことのような記憶になりつつありますが、思い起こせば常に序列に支配された組織構造の中にいたと思います。

同じ内容でも、序列の異なる人が言うことで結果が変わることに対して 常に不合理を感じていました。

例えば、部下の私の提案では課長は動かないが、同じことを部長が言えば課長は動くとかです。

その提案がどんなに合理的だったとしてもです。

そうなんです、会社の組織構造を維持するためには、合理的な部分だけではダメで、職制による序列や年功による序列が必要不可欠なんですね。

かつて私が勤めていた会社は中堅の自動車部品メーカーで、まあ 今の時代であっても昭和の製造業の延長線上にあるような企業でした。

当然、バリバリのメンバーシップ型の雇用体系で、社員に序列とか仲間意識を持たせて、会社は家族だから先輩や上司の言う事をしっかり聞いて、みんなで助け合って長時間労働しましょうというノリでした。

そういった組織構造の中では序列は、組織全体の規律にも通じるものでした。

当然、組織の中では、とにかく序列による力を求めるような人もおりました。

『偉ければ何をしてもいいんだ』

『他人に対する決定権を持ちたい』

『自分が上司にやられたことを部下にもしてやる』

実際に自分が聞いたことのある言葉です。この人、頭おかしいんじゃないかと本気で思いましたね。

そのような力を持つには出世するしかないので、上層部への報告、会社内での立ち回り、序列や人間関係に常に気を配っていました。

上層部への報告でも、悪いことは一切報告せず、良いことだけを何倍にも膨らませて報告するといった具合です。

そんなことは非合理的で私は大きな違和感を感じていましたが、結果的にそのようなことが出来る人間が出世して序列による力を得ていました。

元々のスペックは低いのに、序列ばかりを求めて得てしまった人の下で働くことほど辛いものはないでしょう。

自分のことをよく知りもしない序列が上なだけの他人に生殺与奪を握られ、他人に決められた仕事、勤務地、評価、人間関係の中で生きねばなりません。

そんな勤め人から解放されて本当に良かったです、心の底からそう思います。

後悔することといえば、もっと若い頃から勤め人から解放されるような行動を取っておけばよかったということだけです。

今の時代に、

こんな会社で、

こんな仕事を続けていても、

自分に未来はあるのだろうか?

と思う疑問はたいてい当たっています。

一度しか無い自分の人生です。そして人生とは時間そのものなんです。

学んで、行動して、経済的自由への道を切り開いていくしかありません。

自分の大切な時間を無駄に奪われないよう、自分が自分らしく生きるために人生を構築していきましょう!

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