皇宋通宝の秘密:日本を席巻した中国銭の歴史とその魅力

日常
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先日フリマサイトで購入した日本貨幣一覧ですが、

今回は皇宋通宝(こうそうつうほう)の紹介になります。

皇宋通宝は、中国の宋(960年〜1279年)時代に鋳造された貨幣の一つで、特に宋の第4代皇帝・仁宗(在位1022年〜1063年)の治世にあたる1039年(長暦3年)に作られました。

この皇宋通宝は、日本にも大きな影響を与えた貨幣であり、渡来銭として日本で最も多く出土する貨幣の一つです。

本記事では、この皇宋通宝について詳しく解説していきます。

1. 背景と鋳造の目的

皇宋通宝が鋳造されたのは、宋の経済が安定し、貿易や市場が活発に動いていた時期です。

仁宗の時代は宋の全盛期であり、内外の交流が活発化していました。

そのため、貨幣の需要も高まり、数多くの種類の貨幣が鋳造されました。

実際に宋代には50種類以上の異なる貨幣が発行されていますが、その中でも皇宋通宝は特に多く発行された貨幣の一つです。

皇宋通宝の書体には、「真書体」と「篆書体」の2つが存在します。

真書体は比較的見やすい楷書風の書体で、篆書体は古典的な書道の一種です。

このように、皇宋通宝は当時の技術や芸術性も反映した貨幣であることがわかります。

2. 日本への輸出と渡来銭としての役割

宋時代の中国は、日本や朝鮮半島など周辺諸国との貿易が盛んでした。

特に、日本との交易では、多くの中国銭が輸出され、その中でも皇宋通宝は大量に日本に輸出されました。

皇宋通宝は、寛永通宝(江戸時代の代表的な貨幣)が鋳造される以前に、日本国内で最も広く流通していた貨幣の一つとして知られています。

この時期、日本では自国での貨幣鋳造があまり行われておらず、中国から輸入された貨幣が主に使われていました。

そのため、「渡来銭」と呼ばれる中国銭が国内で流通し、その中でも皇宋通宝は特に重要な役割を果たしていたのです。

日本各地で皇宋通宝が出土していることからも、その広範な流通範囲が伺えます。

3. 大量鋳造されたが、状態の良い物が少ない理由

皇宋通宝はその大量鋳造にもかかわらず、状態の良いものが少ない古銭としても知られています。

これにはいくつかの理由があります。

まず、大量に鋳造された貨幣は、その後の流通によって摩耗や腐食が進むため、長い年月を経て状態の良いものが残りにくくなります。

また、皇宋通宝は日本に大量に輸入されましたが、日本国内での流通状況も厳しく、保存状態に恵まれなかったと考えられます。

さらに、日本の湿気の多い気候や、保管場所の条件も、貨幣の保存状態に影響を与えた可能性があります。

これにより、現在手に入る皇宋通宝は、表面が摩耗しているものや、錆びが生じているものが多く見られるのです。

4. 皇宋通宝の文化的影響

皇宋通宝は、単なる通貨としての役割にとどまらず、日本文化にも少なからぬ影響を与えました。

例えば、宋銭は日本の商業発展や市場の形成に大きく貢献し、当時の経済活動を支えました。

また、これらの渡来銭は、後の日本における貨幣制度の確立にも影響を与えたと考えられています。

皇宋通宝は、日本国内で広く使われただけでなく、貨幣そのものが美術品としても注目され、収集の対象となることもありました。

古銭の収集は、江戸時代から広がりを見せ、今日でも多くのコレクターに愛されています。

まとめ

皇宋通宝は、宋の全盛期に鋳造された貨幣であり、日本においては寛永通宝が登場する以前の最も広く流通した渡来銭の一つでした。

その書体の美しさや、大量鋳造された背景、そして日本での流通・影響を通して、この貨幣が歴史的に重要な役割を果たしていたことが理解できます。

今日でも、古銭としての皇宋通宝は歴史的な価値を持ち、多くのコレクターにとって貴重な存在となっています。

その文化的な影響や、保存状態の問題についても興味深いポイントであり、歴史の中でどのように使われ、保存されてきたのかを考えることは、当時の社会や経済を知る一助となるでしょう。

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