アンティークコインを手に取ったとき、そこに刻まれた「竜」の力強さに目を奪われたことはありませんか?
明治初期、日本の貨幣が世界の美術品と肩を並べるクオリティで産声を上げた背景には、一人の天才彫金師の存在がありました。
今回は、近代金工の父であり、帝室技芸員としても名高い加納夏雄(かのう なつお)の生涯と、その技術の結晶である「竜図貨幣」の魅力に迫ります。
1. 刀から硬貨へ:激動の時代を歩んだ金工師の生涯
加納夏雄は1828年、京都の米商の家に生まれましたが、後に刀装具を手掛ける金工師の養子となりました。彼が職人として歩み出した幕末は、武士が刀の装飾に己の粋を投影した時代でした。
- 「写生」への飽くなき探求: 当時の職人は師匠から受け継いだ「型」を写すのが一般的でしたが、夏雄は円山・四条派の写生画法を学び、自ら野山を歩いて植物や昆虫を観察し尽くしました。
この徹底した写実主義が、後に硬貨のデザインに命を吹き込むことになります。 - 新時代の要請: 明治維新後の「廃刀令」により、刀装具の需要は激減します。金工師にとっての逆風の中、夏雄はその圧倒的な技量を見込まれ、明治政府が進める新貨幣の原型制作という大役を担うことになりました。
2. 近代貨幣の象徴「夏雄の竜」
明治2年、大阪に造幣局(当時は造幣寮)が設立される際、貨幣の図案および原型制作の中心人物となったのが夏雄でした。
コレクターを魅了する「旧1円銀貨」のデザイン
特に「旧1円銀貨」に刻まれた竜には、夏雄の美意識が凝縮されています。
- 躍動する竜の意匠: カッと口を開いた「阿形(あぎょう)」の表情や、うねる髭の曲線。これらには金工師としての「片切彫」の鋭い感覚が活かされており、平面の金属でありながら、まるで毛筆で描いたような勢いを感じさせます。
- 精密な鱗の重なり: 数百枚に及ぶ鱗は、体の曲線に合わせて一つ一つ形や大きさが微調整されています。これにより、コインを傾けた際の光の反射が、竜に生命感を与えています。
- 裏面の構成美: 竜の反対側には、菊紋、旭日、そして桐と菊の枝が配されています。
左右の枝を結ぶ「リボンの結び目」の柔らかそうな質感は、夏雄が長年培った繊細な表現力の賜物といえます。
語り継がれるエピソード:当時の最新技術を持っていたイギリス人技師たちは、当初日本人の手作業による原型制作に懐疑的であったものの、夏雄が仕上げた精緻な竜の原型を見て、その技術に驚嘆したという逸話が残っています。
3. 国家に認められた「品格」と教育への貢献
加納夏雄の作品には、派手さよりも「凛とした気品」が漂います。その作風は明治天皇からも厚い信頼を寄せられました。
1890年、皇室が優れた美術家を保護する制度として「帝室技芸員」が創設されると、夏雄はその第1回任命者の一人として選ばれました。
また、東京美術学校(現・東京藝術大学)の教授として後進の育成にも励み、日本の伝統工芸を近代教育の枠組みへと繋ぐ架け橋となりました。
4. 後世へ受け継がれる「精緻」の伝統
加納夏雄が確立した「写実的かつ高度な彫金技法」は、その後の貿易銀や補助貨幣のデザインにも大きな影響を与えました。
現代の日本の貨幣に見られる緻密な偽造防止技術や、細部まで妥協のない造形。
これらは夏雄が直接デザインしたものではありませんが、「写実と精緻さを重んじる」という日本の造幣の伝統的な精神は、間違いなく彼を源流の一つとして今日まで受け継がれています。
まとめ:本物を知るための第一歩
加納夏雄の作品を実際に目にすると、その静かな迫力に圧倒されます。
もし古銭商や博物館で「竜」の硬貨に出会ったら、ぜひその細部を観察してみてください。
そこには、明治の夜明けに一人の天才が込めた、職人魂の息吹が今も刻まれています。
豆知識:貨幣に刻まれた「一圓」などの力強い文字も、書道に秀でた夏雄の自筆であるという説が、コレクターの間では根強く伝えられています。
加納夏雄の足跡を辿ると、日本の貨幣が単なる決済手段ではなく「芸術品」としての側面を持っていることに気づかされます。
以上、参考になりましたら幸いです!

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