色々とご縁がありまして、以前から欲しかったものを譲っていただきました。


明治二分判金です😆
止分ですかね🙄
明治二分判金は、江戸から明治への転換期に「つなぎ」として発行された、低品位の角型金貨であり、その短命さ自体が日本の近代貨幣制度への急転換を物語っています。
明治二分判金の基本スペック
明治二分判金(貨幣司二分判)は、縦約19mm・横約11mm、量目約3.00gの小型の長方形金貨です。
品位は金223・銀777(質量比)で、金含有率はおよそ22.3%とかなり低く、同じ二分判金の中でも低品位グループに属します。
額面は「二分」で、江戸時代の金銀貨体系(両・分・朱)の中では、小判一両と連動する補助金貨として位置付けられていました。
鋳造は明治元年(1868年)頃から明治2年(1869年)頃までのおよそ10か月前後に集中しており、江戸期から続く判金形式の事実上の「最後の世代」にあたります。
発行当時の時代背景
発行時期は、戊辰戦争から明治新政府の体制固めに向かう、極度の財政不安定期でした。
新政府は戦費や諸経費を賄うために不換紙幣「太政官札」なども多用しており、金銀の準備と流通貨幣の確保は喫緊の課題でした。
しかし、本格的な近代造幣局の建設・機械導入には時間も資金もかかるため、当面は旧幕府の金座・銀座の仕組みと技術を流用せざるを得ませんでした。
そこで、明治政府は旧来の金座を接収し、そのもとで「貨幣司二分判」として二分判金を短期間鋳造し、江戸期の貨幣体系とある程度の互換性を保ちながら流通を維持しようとしたのです。
江戸から明治へ:貨幣の歴史的流れ
江戸時代の貨幣制度は、金・銀・銭(銅)を別系統で運用し、金貨には両・分・朱という四進法の単位が用いられていました。
二分判金は、文政・安政・万延と改鋳を繰り返し、そのたびに品位(含有金量)が下げられて「出目」(政府利益)を稼ぐ手段とされ、幕末には非常に低品位な金貨になっていました。
幕末に開港・通商が始まると、日本独自の金銀比価(おおむね金1:銀5前後)と、国際市場の比価(金1:銀15前後)との差が表面化します。
外国商人は、銀貨を日本に持ち込んで有利なレートで金貨に交換し、それを海外で再び銀に換えることで利ざやを得ることができたため、日本から大量の金貨が流出しました。
明治二分判金が短命だった理由
明治二分判金自体も、万延二分判の流れを引き継いだ低品位の名目金貨であり、国際的な視点から見ると「金の価値が安すぎる」貨幣でした。
そのため、開国後の金銀比価の問題は依然として解決しておらず、外国との貿易を続ける限り、金貨流出の危険性を抱えたままの状態でした。
加えて、国内では太政官札など不換紙幣の乱発もあり、貨幣価値の不安定さが物価の上昇や社会不安の要因となっていました。
こうした内外の圧力の中で、旧来の判金スタイルの金貨を長く使い続けることは現実的ではなく、「本格的な新貨幣制度が整うまでの一時しのぎ」として役割を終えたため、明治二分判金はごく短命な発行で打ち切られました。
国際情勢と金銀比価の問題
19世紀後半、欧米諸国では金本位制もしくは金を基軸とする通貨制度が浸透しつつあり、国際取引では金の価値を基準にする動きが主流でした。
一方、日本は長く鎖国状態にあったため、国内だけで通用する金銀比価(例として金1:銀5程度)が維持され、開国後に国際相場との乖離が一気に問題化しました。
この乖離を利用して、外国商人は銀を持ち込み日本の金貨を安く取得し、それを国際市場で高く評価される金として運用したため、日本側から見れば極めて不利な「金流出」の構図になりました。
幕府は対策として品位の低い万延小判や低品位金貨への改鋳を行いましたが、結果として通貨の信認低下と物価高騰を招き、明治新政府にもその悪影響と課題が引き継がれました。
新貨条例と貨幣制度の大改革
こうした状況を是正し、欧米と対等な経済関係を築くため、明治政府は明治4年(1871年)に「新貨条例」を制定します。
この条例により、通貨単位は従来の両・分・朱から「円・銭・厘」に変更され、1円=100銭=1000厘という十進法が採用されました。
また、金1.5gを1円と定める金本位制に基づき、20円・10円・5円・2円・1円などの金貨、および補助貨幣としての銀貨・銅貨が整備され、国際基準に合わせた近代的な貨幣体系が構築されました。
この新制度のもとで、旧来形式の判金類は徐々に通用停止となり、明治二分判金もまた、短い役割を終えて近代金貨へとバトンを渡す存在となりました。
明治二分判金の歴史的意義
明治二分判金は、見た目は江戸の判金、発行主体は明治新政府という、時代の「継ぎ目」に生まれた金貨です。
低品位で短命だったがゆえに、幕末の財政難・金流出問題・開国と国際経済への組み込みといった、日本の近代化が抱えた矛盾と焦りを象徴する存在ともいえます。
その一方で、このような過渡期の貨幣があったからこそ、新貨条例による大改革へとつながり、日本は急速に「世界水準の貨幣制度」を整えることができました。
コレクターの視点では、明治二分判金は単なる小型金貨ではなく、「旧時代と新時代の境目に立ち会った証人」として、歴史的背景を知るほど味わいが増す一枚と言えるでしょう。
以上、参考になりましたら幸いです!

コメント